合意形成の美学とコンセプチュアル・アートの復興

  1. より美しい合意形成の制度を追究する
  2. これはコンセプチュアル・アートの復興でもある
  3. 制度批判に留まらず制度設計に切り込む

ここ数年、様々な経験を通じて「今後の美術界にはコンセプチュアル・アートの復興が必要である」という思いが強くなりました。

その背景はやや複雑であるため、ここで一度 (過去記事を適宜参照しつつ) 簡潔に記しておこうと思います。

*草稿にコメントをくれた原さん志賀さんに感謝申し上げます。

より美しい合意形成の制度を追究する

着想のきっかけは「作品の価値は誰がどのように決めているのか?」という美術業界の制度に対するシンプルな疑問でした。

市場に任せることは決め方の1つである (i.e., 高い価格ほど優れている) ものの、過度な商業主義は美術史など専門知識の軽視を招くでしょう。

かといって専門家達に任せて (i.e., あの人が評価するほど優れている) も、過度な権威主義は業界の先細りやハラスメントを招くでしょう。

実際の決め方は過去記事でまとめた通り両者の折衷型ですが、より美しい合意形成の制度は追究できないのでしょうか?

*例えば美術業界が白人・男性・エリートに偏っているという指摘や、税金を使った作品購入や芸術祭の開催が地元住民からしばしば批判される事例も、一般化すれば「作品の価値は誰がどのように決めるべきなのか?」が論点であることを思えば、これはなかなか本質的な問いです。

これはコンセプチュアル・アートの復興でもある

同様の問いは、美術史において特にコンセプチュアル・アートの文脈で扱われてきました。

例えば Hans Haacke は不動産や美術作品の来歴を所有者の社会的身分を含めて列記する Shapolsky et al. Manhattan Real Estate Holdings, A Real Time Social System, as of May 1, 1971 Manet-Projekt 74 を、より最近では Wiliam Powhida が業界の慣習やヒエラルキーを風刺的に図示する Art Basel Miami Beach Hooverville などを、それぞれ制作しています。

これらの作品は「作品の価値は誰がどのように決めているのか?」という合意形成の問題を扱う好例と言えるでしょう。

*コンセプチュアル・アートの詳細については、美術史研究者の Alexander Alberro 氏による『Reconsidering Conceptual Art, 1966-1977』で体系的にまとめられています。自分は昨年Alberro氏から許可を得てこの文章を和訳したので、興味がある方はぜひ以下のリンクから御覧ください。ざっと読むだけでも、今回のブログ記事の主張がコンセプチュアル・アートが持つ多くの特徴 (e.g., プロセスの重視, 脱アーティスト中心化) を継承している旨がわかるかと思います。ドキュメントは誰でもコメント出来るようにしてあるので感想・コメントもお待ちしております!

他方でこうした先例は「ではどのように決めるべきなのか?」という規範的分析を行うまでには至らず、また初期のコンセプチュアル・アートは理屈っぽくて売れにくいこともありその隆盛は1960年代半ばから70年代半ば頃までと比較的短命でした。

以上の歴史を踏まえると、より美しい合意形成の追究は (民間部門においては市場規模が、公共部門においては文化予算と専門家の影響力が、それぞれ同時並行で拡大している) 現代におけるコンセプチュアル・アートの復興でもあるのです。

制度批判に留まらず制度設計に切り込む

したがって同時代性のあるコンセプチュアル・アートは、制度批判から制度設計を意図する表現に変わります。

この時、何をもって「美しい」合意形成とするかの規範や手法は各々の価値観や専門領域に沿うべきと思いますが、直感的な理解のためにも以下に (経済学をバックボーンとする) 自分にとっての関連事例を3つ挙げてみましょう。

社会選択理論 ―― 経済学の一分野であり、価値観が異なる個人の意見を集約する際の制度について研究しています。特筆すべきは決め方の美しさに関していくつかの規範 (e.g., 個人に嘘をつくインセンティブが無い) をしっかり定式化している点です。社会選択理論は自分が知る限り最も厳密に合意形成を追究する学問分野であり、投票からオークションまで幅広くカバーすることから、美術業界に対しても何らかの応用可能性を感じています。

ビットコイン  ―― 集権的な管理者に頼らず通貨の取引履歴をどう管理するか?に応える合意形成の制度を設計し、自律的な運用を果たしたことで社会に大きな影響を与えました。こうした観点から自分はビットコインを現代におけるコンセプチュアル・アートの最高傑作と評価しています。より美術の文脈に近づけるべく、合意形成の対象を客観的な取引履歴から主観的かつ評価に専門性が要求される情報へと拡張することは、自分の研究テーマの1つでもあります。

リーディング・ミュージアム構想 ―― 文化庁の資料にて2018年に言及された、国内の美術館を競争力のある評価軸として機能させることを目指す政策案です。作品価値の合意形成に関わる制度が行政から提案されたことは非常に意義がある一方、所蔵品の売却を想定するスキームは多くの批判を受けました。自分は当時ブログで代案を示しましたが、その完成度を理論・実現可能性の両面から高める行為は、それ自体が制度設計を意図した表現になると信じています。

再度強調しますが規範や手法は色々あって良く、経済学やブロックチェーンを使うから新しいという主張では決してありません。

重要なのは、制度批判に留まらず制度設計に切り込む姿勢なのです。

*例えば日本美術院や星岡茶寮、GEISAIなど、制度設計に切り込んだ先例は国内にも多く存在すると思います。

おわりに

このような合意形成の美学とコンセプチュアル・アートの復興は十分新たな美術の潮流たりうるだろうし、なかなか現代美術が定着せず「悪い場所」と論じられたりもする日本から発信するコンセプトとしてもそれなりに意義があるでしょう。

僕個人としても、これまでの経歴 (カイカイキキアルバイト→スタートバーン起業→ブロックチェーン研究) に対して一貫性のある理念がようやく生み出せたように思います。