- ブロックチェーンの本質は合意形成にある
- 合意形成はコンセプチュアル・アートの主題である
- しかしアーティストは未だこれをほとんど議論していない
*経済学者に対して書いた改変元の記事もぜひご覧ください。
ブロックチェーンの本質は合意形成にある
ビットコインに興味を持った理由は人それぞれだと思いますが、自分にとってのそれはかなり明確で「合意形成」です。
立場の異なる者達が自分が得するように行動した結果、上手く合意形成が行えるようになっているインセンティブ設計に非常に感銘を受けたことは、今でもよく覚えています。
良く「ブロックチェーンって流行っているけど何が凄いの?」と尋ねられますが、詰まるところブロックチェーンはデータベースの一種なので (低コストで改ざん困難なDBを実装出来る利点があるとは言え) その上にある「P2Pのパブリックチェーンでもシステムを機能させる合意形成」こそが質問に対する最も望ましい回答であると信じています。
*こういう思いから、個人的にはいわゆるプライベート型やコンソーシアム型のブロックチェーンにはあまり魅力を感じていません。
合意形成はコンセプチュアル・アートの主題である
このような合意形成は、実は現代美術 (特にコンセプチュアル・アート) の主題の1つでもあります。
例えば Hans Haacke は不動産や美術作品の来歴を所有者の社会的身分を含めて列記する Shapolsky et al. Manhattan Real Estate Holdings, A Real Time Social System, as of May 1, 1971 や Manet-Projekt ’74 を、より最近では Wiliam Powhida が業界の慣習やヒエラルキーを風刺的に図示する Art Basel Miami Beach Hooverville などを、それぞれ制作しています。
これらの作品は「現代美術の価値は誰がどのように決めているのか?」という (現代美術の価値に対する) 合意形成の問題を扱う好例と言えるでしょう。
*コンセプチュアル・アートの詳細については、美術史研究者の Alexander Alberro 氏による『Reconsidering Conceptual Art, 1966-1977』で体系的にまとめられています。自分は昨年氏からの許可を得てこの文章を和訳したので、ご興味がある方はぜひ以下のリンクから参照してみてください。ドキュメントは誰でもコメント出来るようにしてあるので、感想・コメントもお待ちしております!
- Reconsidering Conceptual Art, 1966-1977 邦訳版 (1/4)
- Reconsidering Conceptual Art, 1966-1977 邦訳版 (2/4)
- Reconsidering Conceptual Art, 1966-1977 邦訳版 (3/4)
- Reconsidering Conceptual Art, 1966-1977 邦訳版 (4/4)
他方でこうした先例は「ではどのような決め方が望ましいのか?」という規範的分析を行うまでには至らず、また初期のコンセプチュアル・アートは理屈っぽくて売れにくいこともありその隆盛は1960年代半ばから70年代半ば頃までと比較的短命でした。
以上の背景を踏まえると、(取引履歴というよりシンプルな対象ながら) 集権的な権威に依存せず合意形成するための仕組みをちゃんと示して実装まで行ったビットコイン、およびその要素技術であるブロックチェーンにはコンセプチュアル・アートを現代に復興させる鍵が潜んでいるように思えるのです。
しかしアーティストは未だこれをほとんど議論していない
にもかかわらず、少なくとも自分が観測する範囲において、美術史的な観点からこの合意形成に言及する人達は極めて少ないと感じています。
アーティストがブロックチェーンを扱う場合、現状では
- 絵画や写真作品をNFT化して販売する
- インターネット・ミームをモチーフにする
- 技術がもたらすディストピアに警鐘を鳴らす
などのアプローチが大半です。
もちろんこれらが無意味とは思いませんが、合意形成+コンセプチュアル・アートの軸で攻める方が (ブロックチェーンの本質的な部分と美術史を自然に接続出来るので) 筋が良いと感じており、大変もどかしい気分です。
おわりに
以上が「アーティストはブロックチェーンの合意形成に着目せよ」の執筆動機です。
コンセプチュアル・アートの復興という発想は自分がこれまでに行ってきたこと (研究も研究以外も) を統合して考える軸になる気がしているので、今後も追究しつつ似たような記事を書くことになるだろうと思います。