「アート思考」は歪んで伝わっているのではないか?

  1. アート思考の定義について原著を確認してみた
  2. 原著はアートの効能について特に言及していない
  3. 新たな美の普及へのコミットが真のアート思考だろう

最近「アート思考」という言葉をよく耳にするようになりました。

アートをビジネスに活かすという文脈から派生した言葉らしいものの詳細は良く解らず、美術市場の活性化に関心がある身として調べねばと思ったので、その内容と自分が思う所について記そうと思います。

アート思考の定義について原著を確認してみた:

とにかく元を辿ろうと思い、調べた限りアート思考という言葉が明示的に用いられた最初の書籍である

Whitaker, A. (2016). Art Thinking: How to Carve Out Creative Space in a World of Schedules, Budgets, and Bosses. HarperBusiness.

を読んでみました。これによると

Art thinking is a framework and set of habits to protect space for inquiry. (p.12)

アート思考とは問う心を保つための枠組み、及び習慣の集合である。(拙訳)

Art thinking by its nature is question oriented, not solution based. It is about raking possibility forward. It moves like a wave, not like an arrow. (If you pause to consider it, a wave is far more powerful than an arrow.) Leading from questions is the crux of art as a process. Business optimizes; art asks. Business hits the target; art invents the world in which the target exists. (p.102)

アート思考は本質的に問い指向であり、解決ベースではない。それはあくまで可能性を前に進めるものであり、矢ではなく波のように動く (ここで少し考えていただきたいが、波は矢よりはるかに強力である) 。問いから導く行為は、プロセスとしてのアートの核心である。ビジネスは最適化するが、アートは問う。ビジネスは目標を達成するが、アートは目標が存在する世界を創造する。(拙訳)

とのことです。

これだけでは抽象的で良くわかりませんが、本書がハイデッガーの一節

A work of art is something new in the world that changes the world to allow itself to exist.

芸術作品とは、それ自身が存在出来るように世界を変えてしまう新しい何かである。(拙訳)

を、ビジネスの文脈における(破壊的)イノベーションとのアナロジーで論じていることから、アート思考とは「今ある需要に合わせてモノを供給するのではなく、需要自体を疑いそれを変えるような行動規範」であると自分は解釈しました。

原著はアートの効能について特に言及していない:

ここで気になったのは、国内でしばしばアート思考と併せて語られる

  • 世界で活躍するエリート達はアートに造詣が深い
  • 審美眼を養うことがイノベーティブな発想に繋がる
  • アーティストは私達と異なる特別な思考をしている

などの言説について原著では特に触れられていない点でした。

そもそも本書はアーティストを特別視せず、むしろレオナルド・ダ・ヴィンチやライト兄弟を含む多くの具体例を挙げながら誰もがアーティストでありビジネスマンでもあると主張しています。

さらに後の内容も、

  • 無駄に潰す時間をあえて作ることで適切な問いが立てやすくなる
  • 挑戦的な仕事と安定的な仕事でポートフォリオを組むと良い
  • 組織には専門性の尊重と寛大な心を持ち合わせた管理者が必要だ

等など「アート思考」を実践する際の様々なビジネス的コツを示すに留まり、アートそれ自体の効能について論じるものでは決してありません

推測するに、アート思考を日本に紹介した人達の「これを機に国内ではまだ注目されていない美術業界について知って貰おう」という意図が、アーティストや芸術作品の特別性を強調する方向に原著の主旨を歪めてしまったのだと思います。

*ちなみに自分はアーティストを特別視しない著者の姿勢に賛成です。常識からの逸脱を求めて自己と対話し続けるアーティスト像は一面的であり、当然彼らも「常識からの逸脱」の先行事例を調べたり時には世間の需要に合わせた制作も行うため、その創造プロセスは学術研究を含む他の文化全般と同様だと思います (論文もResearch Questionとして適切な問いを立てることが重要視されていたりします)。

新たな美の普及へのコミットが真のアート思考だろう:

僕自身は、ビジネスマンがアートに関心を持つことは (美術市場の活性化にも繋がるため) 非常に良いことだと思う一方、元々の主旨を変えてまでのマーケティングに関しては結局双方のためにならないため批判的です。

もしこの文脈に沿ってビジネスとアートを繋げたいならば、本来勧めるべきは社員研修で美術館に行ってインスピレーションを得ようとするような行為ではなく、まだ評価されていない新たな美が世に普及するプロセスそのものにコミットすること、例えば

現代美術の歴史を調べた上で現在評価されている作品群に対して自分なりの問いを立てる → その問いに則してより評価されるべきと感じた若手アーティストの作品を購入する → その作品が現代美術にとってなぜ重要なのかを世間に啓蒙する → 啓蒙の結果値上がりした購入作品を売却し再び若手アーティストの作品を購入する

というアートコレクターとしての実践などではないでしょうか。

こうした行動の方が一過性のブームで終わりにくいため美術業界にとって望ましいだろうし、なによりこれは問いを通じて新しい需要がある世界を創造するという点において原著で定義された「アート思考」の (アートに対する) 実践なので、よっぽどビジネスに応用が効く能力が養えると思います。